内之浦の民話・教訓・行事
このコラムは小大塚平男氏著「内之浦町史」よりの引用で紹介をさせて頂いています。


昔の年中行事

正月・・・明日は正月だという大晦日には各種の飾りつけをする。それも満潮になるまえの時刻を選んだ。
まず門口には松と竹を立てて砂を盛り、師走14日に切った割木(セチク)を添え、竹と竹との間に注連縄をはり、ゆずり葉・ダイダイ・ウラジロヘゴ・木炭を結わえ付けた。玄関にもこの門松飾りと同様な物を飾り、床の間には鏡餅二枚の間に子餅三個をはさみ、ゆずり葉・ダイダイ・ウラジロヘゴ・親芋に小芋がついた里芋を飾った。

元日に早起きするのを嫌い、浦町ではほとんど外出もしないくらいであった。朝祝いは「元朝祭」や「ノレ」といって、家族全員が礼装し新年を祝った。
正月の遊びは「破魔投げ・ねん棒」などがあった。店は2日商(フッカアッネ)で安売りをし、山仕事の人は2日山といって山仕事に出かけた。岸良のテコテンドン祭もこの2日である。また船主である家は船祝いをした。

七草・・・正月七日は雑炊をこしらえる。米に加えるのは大根・里芋・ごぼう・にんじん・アザミの根・せり等で時に餅を加える。
7歳になった子は鎮守・氏神のお参りをすませると親戚中の七箇所を選んでこの雑炊をもらって歩く。夜は近所の人を招いて酒宴を開いた。ナナツゲという。鬼火たきのドヤドヤサーが行われるのもこの日である。

二月の行事・・・には祈年祭がある、高屋神社・平田神社の主要祭典であったから、参拝者が多く、田の神舞・棒踊りなどが奉納されてにぎわった。田の神祭・節分もこの月の行事である。

三月の行事・・・には節句と彼岸がある。桃の節句で特別なことはなかったが、3月4日は花見(南方)、デバイ(岸良)といって、ご馳走をもって海岸の景色のいいところへ出かけ、酒宴をひらき太鼓・三味線で楽しんだ。彼岸にはお寺参り、お墓参りが行われ彼岸団子を供えた。

四月の行事・・・4月3日は「シンガサンチ」といい、国見・黒園・笹尾の嶽に青年男女の登山があった。いわゆる三嶽詣りである。頂上では大崎・串良・高山・姶良の青年も加わり賑やかだった。4月8日は各寺院で甘茶をお釈迦様にそそぐおまつりがあった。

五月の行事・・・端午の節句にはよもぎと菖蒲を軒先にさし、鯉のぼりをたてた。初節句の家にはいろいろな祝いの品が贈られ、宴も開かれ盛装した男児は次々に来客に抱かれ前途を祝福された。菖蒲湯もこの日に使われた

6月の行事・・・各神社の六月灯、水神祭があり、旧暦6月29日には夏越祭があった。岸良の夏越祭では鼻高様(猿田彦命)の神面3体を奉じて東部落に至り、下部落で休み、川畑家から神饌を供し、東部落のお払いをしてから浜に行く海岸で「塩がき」の行事があり浜部落の神饌を供え海岸祭を行う。神舞の奉納があり、マカヤで作った注連縄の張られた下を厄払いだといって参拝者がくぐる行事をして大祓の祝詞を奏する。還御のあとには青年達の六月灯がある。
六月灯のピークは南方八坂神社のお祭り。浦町の夏場の不況を乗り切ろうと町方の努力で賑やかに行われた。神輿が威勢良くねりあるき、商売も繁昌した。

七月七日の七夕・・・には孟宗竹や唐竹の高い竿に色紙や短冊をつるし七夕姫を祭った。墓の掃除をし、この日に切った竹には虫がつかぬと物干し竿を作ったりした。またこのころから盆の諸準備が行われる。七月の最大の行事は盆祭りで、浦町の盆の行事は七夕の日の精霊迎えから始まる。16日には精進あげといって魚を食べ精進を終わった。

8月1日・・・には新穀を供する八朔の節句があり、赤大根を入れた煮しめを作った。8月15日(旧暦)仲秋の名月のもと綱引きと相撲がにぎわった。綱引きの準備は部落の14歳以下の男の子が集まって組をつくり一ヶ月ぐらい前から行う。14歳(一番がしら)以下2番頭・3番頭と呼んだ。子供達の仕事は部落を回って藁をもらい、山に行ってカズラを取って綱を作る仕事である。前日に土俵をつくり綱つくりの材料を集めておく、当日は二才(ニセ)衆が集まって大きな綱を作ってくれる。夜には月を祭ってから集落全員での綱引きが始まる。綱引きが終わると相撲大会でおおいに盛り上がった。

9月の行事・・・では高屋神社と平田神社のお祭りがある。高屋神社は9月9日と10日、平田神社は9月19日が例祭である。神舞の奉納がある。十一月には方々で氏神祭が行われ、十二月には正月の準備に追いまわされた



内之浦のことわざ・教訓

ここでは、内之浦の我らの祖先が朝夕に使っていたことわざを紹介します

ブトが出ると雨が近い

アリが行列を立てて移動する時は雨になる

白霜は雨、黒霜は晴れ

山が近く見えると雨

朝雷は日の旱魃(アサガンナレハヒノカンパッ)

日に日傘なく月に雨傘なし

鶏が羽根をつつく時は雨が止む

川鳴りが西から聞こえる時は晴れる

七ッ刻から先の雨と、40から先の恋はやまぬ

袋を忘れた座頭と夜上がりの雨はその日のうちに来る

蛇が木に登るときは大雨

梅雨・・・雨七日、日七日、風七日

ながしの夕映え

雷が北で鳴ると梅雨が晴れる

申酉荒れて戌亥の凪ぐ(申酉の日は荒れる)

春の寒さと秋のひもじさは耐えられぬ

なまぬり女は一日に釜ン前を三度も回りきらん

10月のおなごだまかし

大雪は豊年の知らせ。

秋の夕焼け鎌といで待て

千人のまたはくぐっても、一人の肩を越ゆんな

腹八合に医者いらず

年なもんと釘は引っ込んだほがよか

油虫の火クバイ

ヘビノシャクシを指すと指がくされる

火遊びをすると寝小便を垂れる

便所をきれいにする女性はきれいな子を産む

便所に唾すると口がただれる

爪を火にくべると気違いになる

茶碗をたたくと地獄の鬼が来る

またばいの膏薬

馬鹿ンひとっ覚え

魂しゃ使けどっ、とんこちゃ下げ道具

醤油は一番醤油、風呂は二番風呂

朝蜘蛛に夜ムカデ

火事の夢は酒盛がある前知らせ




内之浦の民話・伝説

大浦の山伏塚 ・・・大浦の山の寺というところと小川をへだてたところに山伏の塚がある。ここはもと家が建っていたが、夜になると6時ごろから一晩中横笛を吹く音が聞こえた。その音は他の家の人々も聞いているという。その家は暮らしがうまく行かず、ある時とうとう失火してつぶれてしまった。そこで巫女に見てもらったら、山伏のたたりということで、小石を積み上げて塚をつくった、それから笛の音も聞こえなくなった。


立石の塚 ・・・北方の坂元に立石という塚がある。田畑として昔から耕作されているが、ここの作人はつぎつぎと失明したと伝えられる。この付近は昔の墓あるいは戦死者の遺骨が葬られたところと思われる。ある人が骨片を膏薬にねり合わせると効能があると聞いて、持ち帰り床下にいれておいたら、一晩中話し声が聞こえ、翌朝床下を見たら骨は消え失せていて、その人は間もなく失明したという。また近くの田で田植えをすると、荒天になりやすく急に雷まで鳴り出すと恐れられていた。立石の東方に合戦場の牟田・花木などというところがあり、師走のある晩、火の玉がこの立石、合戦場牟田・花木と川上城跡との間に飛び交うという


白木主水正 ・・・昔南方白木に白木主水正という勇士がいた。山を越えた川原瀬にも又七郎とう勇士がいて共に剛弓を引いた。津代半島の南と北に住んでいる二人は連絡しなければならない用件が生じると、矢に文を結びつけて相手の部落に届くように弓を射た。川原瀬の又七郎は海賊が襲った時、一人で数十人の者を射倒したという。白木主水正は白木のある場所に炭・米・黄金を埋めていたので、そこからはよく火が出たという。


孝女ちどり ・・・南方津代にちどりという孝行娘があった。父母と貧しい暮らしをしていたが、ある時父は遠い海を渡って旅に出かけた。娘は病身の母を助けて家業に励み、近隣の人々から愛せられて日々を送っていた。父が旅立って幾年かがすぎ、母は養生のかいなく死んだ。傷心のちどりは毎日火崎の突端に立ち、帰ってくる父を待ち続けた。ある時ちどりの姿がみえないので、人々が捜したら、中天かかる滝のほとりに、冷たくなったちどりを発見した、それから後このあたりに見知らぬ鳥がチッチッと鳴いているのを、村人はちどりが鳥になって父を捜しているのだと噂しあった。ちどりが倒れていた付近を「ちどりの滝」といっている。